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【東山打鼓  西山舞】
【南川弾琴  北川歌】


日本地図を広げてみて下さい。
東北地方でも南の方、そうそう、新潟市と仙台市を真直ぐに結んだ真中あたりです


山形県の地図


地図の上で、山形県をよく見て下さい。

あんぐりと口を開いた、ヒトの横顔に見えませんか?

山形県の南西部、その地図の上の『横顔』に「エクボ」が出来る・・・・で、あろう辺りに、人工3万人ちょっとの街、長井市があります。






 そこは、西に飯豊連峰から連なる朝日連峰の1000m以上の山々が、東には最上川から立ち上がる500m程の山に囲まれた、南北に開けた盆地です。

 拓里志(たくりし)の中で言われている理想的な居住地に大変近いといわれている土地です。

 春には樹齢1200年、樹高16m、根回りが11.8mという、日本屈指のエドヒガン桜や、純白のツツジ3000株が雪が積もったごとく咲きます。
 夏には、数万本のアヤメの花が夜の川風に揺れ、そして秋には、黒獅子が家々を祓い清める笛太鼓の音が、たわわに実った稲穂を渡る風に流れます。


 そんな『東の山が鼓を打てば、西の山が舞を舞う』と称される山紫水明の里が長井です。


そんな町で約30年以上も前、フォークソングが全盛だった頃から、歌い続けている4人組のフォークグループがあります。



☆ 影法師プロフィール・・・・

 1975年、結成されたフォークグループ(影法師という名前以前の活動は1973年から)
田舎に身をおき、仕事を持って、そこで感ずる矛盾や怒りを歌の原動力として、演奏を続けている

日本で唯一無二の『叙事詩派フォークソンググループ』です。

 1981年国鉄長井線存続運動のテーマソング「今日もあの娘は長井線」を歌い、マスコミ大きく取り上げられ以降、ローカルに名前だけは広く知られるようになった。
 (長井線は現在第三セクター方式として、山形鉄道株式会社となっています)

 最近は、農業問題、自然環境の問題とテーマを広く求め多方面に活動を展開。
 特に1991年に発表した東北蔑視の怒りを全編・長井弁で歌う「白河以北一山百文」は、カセットテープの販売をしたところ反響が大きくそれが縁となって県内外からのお声がかかり、1ヵ月に3〜4回、年間で40回ほど演奏および活動をしています。

 四半世紀以上も前・・と記すと、びっくりされる方が多い思います。そしてそのびっくりは次の三つになるだろうと思ます

1、前世紀の遺物のようなフォークソングを・・・・・・
2、アマチュアで30年弱も・・・・・・
3、しかも、山形県で・・・・・・

   と、・・・・・・・・・・・・・・・

 日本のフォークソングは、『受験生ブルース』のような叙事詩から始まりましたが、日本の『抒情詩』一辺倒の音楽風土の中では、『叙事詩』はビジネスにならず、やがてその姿を消しました。
 そのフォークソングは叙事詩である!と言う伝統を、影法師は、図らずも引き継いで現在に至っています。
 影法師への依頼も、何かのアトラクションというよりは、歌を聴くための場というのが多くなってきたのも、バブルが崩壊して以降、再び「言葉が意味を持つ時代」がやってきたからではないでしょうか。
 めまぐるしく変わりゆく時代が、四半世紀以上、何一つ変わらなかった影法師に、合ってきたのだといえるのかもしれません・・・・

1993年「NHK東北ふるさと賞」を受賞。