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 そもそもひなた村を作ったきっかけとなったのは、昭和59年(1984)から昭和61年(1987)までの三年連続で「高石ともやとナターシャセブン」のコンサートを開いたことに由来します。
 そのコンサートに来て下った方々、あるいはそのときに出会った多くの人たちの中には、多彩な手腕をお持ちの方が大変多く、その後何かと私たちが催し物などを開催する際に、その方たちの得意とする手腕をお借りすることが間々ありました。そんな方々とそのとき限りのお付き合いだけと言うのが忍びなく、ひなた村という集団(村民?)を形成しました。


 影法師はそろそろその活動歴が、四半世紀?に及ぼうとしておりますが、その後の活動で出会った多くの方たちがまた、ひなた村の村民として登録させていただき、何かとその「手」をお借りしておりました。

 以降、演奏活動が多くなった最近では、その会場で販売している私たちのカセットテープに同封されている返信用はがきを返信くださった方たちや、遠藤・横沢両氏が栽培・販売しているひなた村のお米を通していろんなお声をお寄せいただいた方々を、ほとんど強制的??に村民として登録させ頂き事あるごとに機関紙「あそべ」を発送するようになっています。

 すなわち、影法師にお声掛け頂いた方たちを、強制拉致(笑)!? してひなた村に住民登録しているのです。

 また最近は、主に演奏活動をするときには「影法師」の名称を。
 影法師が主体となってコンサート・催事など演奏以外活動をするときには「ひなた村」という名称を用いることが多くなっています。