徒然日記 次へ進む 前に戻る ホームに戻る
豊作を祈願して葉山に登る(1996春)
その 2
葉 山 に 登 る

 初夏の頃、田植えを終えた里人たちは、稲の苗を手に持って祖先の住む葉山に登り、山頂の葉山神社にお参りして、近くにある高層湿原(御田代・オタシロと呼ばれる)に持参した稲を植えて、「どうか、今年も豊作で有りますように・・」と、今年一年の豊作と無事を祈りました。
山頂の葉山神社に詣でる。祭壇に鄙の影法師も見えます(96'6月)  この風習は戦後間の頃まで続いていましたが、世の中が気ぜわしくなり、人々がお金の事が気になりだして、葉山の峰を仰ぎ見ることよりも、都会の方ばかりを向くようになってから、その風習も次第に廃れていきました。
 もちろん、その当時の人たちは、田植え後の楽しみ的なものも有ったのでしょう。忙しかった「五月(サツキ=田植えのための一連の農作業)の後、お弁当とお酒を持って一日かけて、お山に登ると言うことは、信仰と共に楽しみの一つだったのでは無いでしょうか。


 
稲を植える葉山山頂の御田代(オタシロ)について

 山頂の北西に直径百メートル程の小さな湿原を「御田代」と呼んでいます。
 その御田代入り口の小さな池塘に持参した苗を植え、今年も豊作でありますように・・・・と御願いをします。
お田代に苗を植える(96'6月)

 ここは、花崗岩深層風化砂が水を蓄えそれが水苔を繁茂させることによって、水苔が累々と1200年以上にわたって堆積し、水苔泥炭層が発達して成立した「直接高層湿原」と、呼ばれる貴重なものだそうで、その堆積した泥炭層は調査によると1m20cmに達するそうです。
 おおよその計算でも、1cmの泥炭層が積もるのに、10年以上の年月が必要になることになります。

お田代に苗を植える・・遠藤&横沢

 何処の湿原も同じですが、そこに生える植物の根は、土壌に達していないので、本来土から得られるはずの窒素やリン、カルシウムなどの無機栄養を得られず、極めて貧栄養状態であります。
 ですから、そこにはその貧栄養状態に適した植物のみが生えているわけで、こうした湿原が人によって踏みつけられたり、その植物を持ち去られたりすると、その貧栄養状態ゆえに、回復は極めて困難になるのだそうです。


では何故、
この貧栄養状態の葉山の御田代は守られてきたのか ?

 一つは登山道のすぐ脇ではあるのですが、近年は葉山信仰が廃れ、その存在を知る人が近年あまり居なかったこと。
 そして、もう一つは昔は神事に関わる土地だから、奥は聖域であり踏み入ってはならない場所であったこと。
お田代に苗を植える

 このことによって1200mもの山の上にある、高層湿原の環境が守られて来たのではないか?と、言われているようです。