田植後から夏のような天気が続き、水不足が心配されていました。
 7月に入り一変し、降り出した雨は止むことを知らず、夏のないまま秋を迎えようとしています。
 幸い私たちの住む山形県は日照不足の割にには、気温が高かったためお米の方は平年並みの出来が期待できそうです。
「今きらめいて」1998年11月29日9:30放送
東北6県と新潟県の日本テレビ系列のテレビ局で放送となります。
大詰めを迎えた番組収録でインタビューを受ける影法師のリーダー横沢です。この半年間の影法師の活動とさわのはなに賭ける様子をご覧ください。

「今きらめいて」1998年11月29日9:30放送

東北6県と新潟県の日本テレビ系列のテレビ局で放送となります。

超おすすめのCD2題

影法師待望のCD発売
 いままでカセットテープを6種類ほど制作してまいりましたが、時代は確実にCDへと変わりつつあり、多くの方から「CDは売ってないの?」と言われておりました。
 都合の良いことに最近パソコンを使ったCDの書き込みが簡単に出来るようになったため専用機の導入に踏み切り、書き込みを始めました。
完全手作りのCDをぜひお聞きいただきたいと思います。
 曲目は白河以北一山百文、ある農業青年の主張、農家に嫁いで、20年目の少年少女へ、葉山参道、機織りの歌、今日もあの娘は長井線、美しい村、余目の亀治さへ、怒りの百姓、悲しきタイ米、ヤポネシア・ギッタレ国の全12曲。
価格は3000円(税込み)です。

さわのはなにとって今年はどんな年?

 大変激しい天候不順の年となりました。
 春先からの真夏を思わせる気温は人間にとっては大変過ごしにくいものでしたが、この時の高い気温が「さわのはな」にとっては幸いしました。
 この高い気温は私たちが思ったよりさわのはなの生育を早め、はえぬきやササニシキなどと比べ穂の出る時期がかなり早まりました。
 さわのはなの育ての親、鈴木多賀さんのお話ではそれほど感温性(温度に敏感)が強い品種ではないとのお話でしたが、今年のような天候の場合は生育が相当進むようです。  穂が出てから日照不足の日が続いていますが出穂が早かったこともあり登熟(米粒の熟し具合)もかなり進んでおります。山形県の作況予想は平年並みと出されています。私たちのさわのはなも質、量とも平年作になるものと期待しています。

この稲の写真はいつも家族で体験田植えや稲刈りに参加してくれる佐藤孝枝さんが育てたものです。もちろん品種は「さわのはな」体験田植えの時もらっていった苗をプランターに植えて「バケタン」として育てました。 *バケタンとは家庭で稲の栽培を楽しむことで語源はバケツでたんぼを略して、「バケタン」となったらしい。

15年ぶりのザ・ナターシャセブンのCD「再会」

ノスタルジーは満足した 再会―ザ・ナターシャー・セブン

 影法師の師匠、高石ともやさんが中心となるご存じ、ザ・ナターシャセブンがこの夏15年ぶりに再結成され、京都宵々山、大阪、東京と3カ所でコンサートが開かれました。
 メンバーは師匠の高石ともやのほかに城田じゅんじ、坂庭省悟のオリジナルのメンバーです。前売り券の売り切れ続出、たいへんな人気でした。この再結成を記念して新たな録音でのCD「再会」が発売されました。
 曲目は再会、谷間の虹、君眠る丘、天国の岸辺、陽気に行こう、陽のあたる道の全6曲。価格は1500円(税込)です。


 あのハーモニーは、もう二度と聴けないものと思っていた。しかし、12年も聴き続けてきた音だ、恋しくないはずはない。「いつか、どこかでもう一度」という思いは、埋み火のように、ずっと胸の奥深くにあった。
 ザ・ナターシャー・セブン。高石ともや、城田純二、坂庭省吾が織り成すハーモニーは、19歳から30歳まで、私の「青春」という時代とともにあった。それを求めて、岐阜の椛の湖の『いこまいか』に、浅草公会堂の『年忘れ』にと、何度足を運んだことか。
 しかし、ナターシャー・セブンは消えた。記録では1983年の解散となっているが、それは解散と言うより流れ解散だった。1980年、アレンジャーでベースを担当していた木田高介が交通事故で亡くなる。82年、名プロデューサーだったマネージャーの榊原詩朗が、ホテルニュージャパンの火事で死亡する。84年、城田純二がアメリカに渡り、一時帰国するがナターシャー・セブンには戻らず、やがて活動の場を完全にアメリカに移す。
1985年には坂庭省吾が離れ、笠木透とフォークスを結成する。
 私たち影法師は、この流れ解散状態の時にナターシャー・セブンのコンサートをやり始めた。83年の9月、京都のヒューマンズーの事務所に出向き、84年6月にコンサートを開くことにしたのだが、コンサートまであと2ヵ月というある日、私たちに届いたのは事務所解散の報だった。照明の谷口忠孝氏がマネージメントを引き継ぎ、6月の『快走』と題したコンサートは無事幕が開いたのだが、そこには城田純二の姿はなかった。翌85年は高石ともや、坂庭省吾、小倉超、兼松豊のメンバーでポスターもチラシも刷り上がっていたのだが、坂庭、小倉が抜けたため刷り直しを余儀なくされた。3回続いたこの『快走』というシリーズは、ザ・ナターシャー・セブンというグループ名で乗り切ったが、すでにナターシャー・セブンは影も形もなかったのだった。ともやさんの言葉を借りれば、「この3年間は、旧メンバーとスタッフが投げ出していったザ・ナターシャー・セブンの残りのコンサートを消化するのが仕事のすべてだった。契約が終了するまでは勝手な活動ができなかったなぁ」、そんな時期だった。
 私たちとともやさんのつきあいが深まるのはその後である。1989年以降今日まで、フォークシンガー高石ともやにさまざまな場に出場願っては、いろんなことを教えられ、その姿から多くを学びとってきた。だが、ザ・ナターシャー・セブンというグループには、高石、城田、坂庭のナターシャー・セブンを一度もやれなかった分だけ、片思いで終わった恋のように、割り切れない、無念な思いがいつまでも残っていた。
 だからこの春、夏にナターシャー・セブンが再会するという知らせが入った時には、狂喜乱舞した。壊れたままになっていたレコードプレーヤーとアンプを新調し、10数年ぶりにナターシャー・セブンを聴いた。
 1998年7月18日、私たちとザ・ナターシャー・セブンとの再会の場になった東京九段会館は、ナターシャー・セブンに特別な思いを寄せる人たちで溢れかえっていた。15年ぶりのナターシャー・セブンのハーモニーは、またたく間に私たちをあの頃へ連れていった。  ともやさんのボーカルは、長年労苦をともにしたチームの中で、安心しきったように伸びやかだった。ステージングの小さなミスはいくつかあったが、ノスタルジーは完全に満足した。一緒に行った小学一年生のみのりは、「大人の歌だからつまんない」とか言いながらも、城田さんのバンジョーのソロや、坂庭さんのマンドリンの鋭い切り込みには、思わず身を乗り出していた。
 実は、影法師の横沢も遠藤も、高石、城田、坂庭のザ・ナターシャー・セブンは一度も生で聴いていなかった。彼等にナターシャー・セブンを聴かせ、影法師を「ブルーグラスの編成で、ナターシャー・セブンの手法を用い、フォークソングを歌う」グループにしてしまったのは私なので、生を聴けなかった彼等に多少心苦しい思いを抱いていたのだが今回横沢は『宵々山』で、遠藤は九段会館で「これぞナターシャー・セブン」というのを聴いて満足しきっていたので、私は肩の荷を降ろせたようで、ホッと胸をなでおろした。
 あれからしばらくして、私が鼻唄で『陽気に行こう』を歌っていると、みのりが一緒に歌い出して、「お父さん、これいい歌だね」と言った。娘の真意がどこにあるかは知らないが、連れて行ってよかったとしみじみ思った。
 来年もきっと、ザ・ナターシャー・セブンと私たちは再会するだろう。だが、その時私たちが求めるものは、もはやノスタルジーではないだろう。それは、根腐れおこして今にも壊れそうなこの国で、不況の波に揉まれ、年を重ねたが故に、あるいはやさしいが故にリストラの対象になっている今の自分と時代への癒しと、未来に向かう希望かもしれない。

--あおき ふみお--

影法師兵庫県、宍粟・西脇遠征記

 6月27日(土)曇り、朝7時に長井を出発して仙台空港へと向かった。遠藤、青木、横澤の3人だ。宍粟労音の事務局からは、寄せ書きの色紙やたくさんの資料が届いている。
 その資料を遠藤が「ほら、こんなにFAXや資料が届いったぞ」と出発した車の中で出した。まだ見ぬ?聞かぬ?影法師への期待の大きさが感じられる。「会員の家の前で、影法師の歌を歌って勧誘してます」資料にあった。「えっ?なんかすごい期待が大きすぎるんでないか」ちょっとのプレッシャーも一緒に機上の人となる。
 そして、伊丹空港に着いた。「歓迎・影法師」の横断幕。何だ、ありゃー。なんかすごい出迎えだ。  まずは高速道路で山崎町へと向かった。会場は農協の隣にある「城下ふれあいセンター」というホールだ。村崎修二氏も山口からプレッシャーをかけに?駆けつけてくれた。
 山崎町は、山と田圃に囲まれた、長井とちょぴり雰囲気が似ているところだ。リハーサルも終わり時間があいたので、近くを散策する。(実はビールを売っているところを探しに歩く)コンビニでつまみと缶ビールを買い道路脇で昼から飲んでる。たむろする不良中年の図。  夜、コンサートでは、本邦初公開の「白川以北一山百文」長井弁による朗読。どうしても棒読みになってしまう歌詞をいかにしたら自然なしゃべりに出来るか、春から田植えしながら、メンバーにも内緒でひそかに練習してきた。コンサートでは、つい、みんなの熱気にのせられてしまった。夜の交流会でも、出し物や感想に楽しく更けていった。
 翌朝ホテルの近くを散歩してると「昨日はごくろうさま」美容室の奥さんに声をかけられた。朝食後、次のコンサート会場西脇へと向かった。
 6月28日(日)晴、西脇は、織物の町だ。織物工場がたくさんある。日本の中心「へそ」にあたると、へその町ともいうそうだ。「おみやげは、へそ饅頭を買っていこうか。帰りはおみやげを買う時間がないかもしれないから」とみんなでお菓子屋さんまで連れてってもらった。
 へそ饅頭を確保しひとまず安心。これが数時間後に起こる事件の伏線になっていたのかもしれない・・・。
会場は、西脇市民文化会館。けっこう歴史のある建物だ。コンサートは午後1時半から3時半まで、飛行機の時間の関係で後ろを延ばすことは出来ない。コンサートも時間どおり無事終わり、バタバタと車に乗り込み、みんなに見送られ会場を後にした。ゆっくり走っても1時間の余裕はある・・・事になっていた。
伊丹空港に向かい順調に車は走る。「順調に、順ちょ、順、じゅ、じ・じ・渋滞に巻き込まれている」明石海峡大橋が出来てから高速と合流地点が込むらしい。でも、まだ余裕はある。それにしても、あまり進まない。出発30分前、本当ならチェックインしてる頃だが、まだ高速の上だ。覚悟を決め、遠藤が携帯電話で空港にチケットのキャンセルの電話をする。飛行機が発ってから空港に着いた。乗り遅れてしまったのだ。
 見送りに、車2台で来てくれたみなさんも心配して頂いたが、明朝一番の飛行機を予約して、空港ホテルに一泊する事となった。そして、忙しく過ぎてしまった時間惜しみ、楽しく過ぎた時につつまれて空港前の寿司屋さんでたらふく?食べて飲んで夜は更けた。

--横沢 芳一--

 ひなた村の行事、影法師の演奏予定の一覧です。
 体験稲刈りなど恒例の行事を中心に行います。ぜひご参加ください。影法師は10月に北海道八雲町、来年1月に岩手県花巻市、東京銀座におじゃまいたしますのでお近くの方はぜひ足をお運びください。

9月15日(火) 9:30 「さわのはな」種子圃原々種採取 種子圃場
  さわのはなの生みの親、鈴木多賀さんの指導のもと昨年から挑戦している「さわのはな」の種子栽培。原種保存のため原々種を選抜します。

9月20日(日) 9:00  体験稲刈り        たんぼ
  5月の体験田植えで植えた「さわのはな」を手で刈り取りしま   春に参加できなかった人もぜひご参加ください。いなごのたくさんいるたんぼで稲穂の重みを確かめましょう。
  場 所 ひなた村のたんぼ  長井市花作町公民館前集合
  服 装 長ぐつをはいて、長袖の上着着用のこと。手の皮の薄い人は軍手、ゴム手袋を持参ください。
  持ち物 特になし。稲刈り鎌はこちらで準備します
  初めての方もできるように影法師の農家メンバーのインストラクター付き

10月17日(土)13:00  北海道八雲町若人のつどい   八雲町
  影法師初めての北海道上陸です。 問い合わせ 八雲町教育委員会 01376-4-3848

  10月31日(土) 9:00  山形刑務所慰問     山形刑務所

11月 7日(土)18:30  鶴岡農協 フレッシュミセス 鶴岡市
   昨年に続きおじゃまします。

11月29日(日) 9:00  ヒューマングラフィティ 今きらめいて 放映
  半年間地元の放送局が影法師を追いかけて撮ったドキュメントが放送になります。日本テレビ系列の東北6県と新潟県で放送。

12月18日 (金) 18:30 高石ともや年忘れコンサート  読売ホール
  師匠高石ともやのコンサート 問い合わせ 東京労音 03-5273-0801

12月25日(金)18:30 ひなた村大忘年会 花作公民館
  会費無料。恒例のつまみ一品持ち寄りの忘年会。

12月29日(火)18:30 影法師年忘れコンサート 米沢ライフ
   今年の歌い納め。限定30名 問い合わせ ライフ0238-21-4859

1月23日(土)13:00 岩手県花巻市 花巻市
  問い合わせ 花巻市役所農政課 0198-24-2111

1月28日(木)18:00 銀座お米ギャラリー      東京
  お米ギャラリー銀座で「今日も僕らはふるさとを歌う」と題してコンサートを行います。
  入場無料ですが会場が狭くあまり多くの人は入れないみたいです。17:20から受付開始になります。
  問い合わせ 家の光協会文化第2課 03-3266-9036


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