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三 渕 の 神 様

 長井市を縦断して最上川にそそぐ清流「野川」、その上流に三渕という峡谷がある。野川本流と布谷沢が合流するここは、古から里人たちの厚い信仰を集め、多くの神秘と伝説を伝える長井の聖地である。

 一つの伝承はこう語り継ぐ。

 前九年の役の折、長井は安倍貞任の娘卯の花姫が治めていたが、敵将源義家に恋した姫は、義家に父貞任の要害戦略を漏らしてしまった。これによって安倍軍は総崩れになり、貞任も討ち死にした。その報を受けた卯の花姫は、己が浅はかさを悔い、三渕に身を投じて大蛇に化身した。
 それからしばらく後、朝日岳、祝瓶山の天壇で修業している修験者が御影森山の小峯を登っていくと、紫の雲にのった美女が悠然と現れ、「この山は四神相応の勝地である。私が珍宝をこの地に納めてやろう。その方たちは早く道場を建てるがよい」と告げ、姿を消した。ふと下を見ると、三渕の波紋が大きく広がっていた。
 この三渕の神様を祀る神社が二つある。一つは寺泉の五所神社、もう一つは宮の総宮神社である。いずれも野川の川筋から程近いところにある。

 その内の一つ、五所神社は私の地元寺泉の産土神だが、その縁起はこう伝えられている。

 朝日岳、岩上(祝瓶)山は役行者を開山 の祖とし、野川口に川口寺、桑沢口に岩上寺が建立され、伽藍数十の堂塔と三百余の僧坊が建ち並び栄えていたが、前九年の役に川口寺が安倍の郎党をかくまったとして源義家によって廃絶された。
 その後再び出羽国を訪れた義家は、この地がすっかり寂れてしまったの憂い、当麻秀則を遣わし、祭地青木野に朝日岳、月ヶ峯、小朝日、岩上、三渕の五ヶ所の神霊を移して合祀したのが朝日山五所大明神である。この時から地名も五祭所と改められた。
 五所神社の祭礼は、現在は8月14、15の両日に行なわれている。獅子舞が奉納されるのだが、それはもう勇壮である。
 獅子舞といっても、長井のそれは他とは異なっている。獅子頭は蛇頭といい、目玉が丸く飛び出、眉が後方に下がり、蛇の頭のように前後に面長になっている。それに大幕がつけられ、その中に多人数の舞い手が入る。幕には波としぶきがあしらわれている。頭は蛇が鎌首をもたげたように一定の高さを保って上下せず、蛇行しながら滑るように舞う。
 総宮神社の伝承によれば、この獅子の舞い方は、蛇体である三渕の神様が野川伝いに里宮まで渡御される時の、水面を進む姿を写したものだという。
 警護によって神殿から境内に下ろされた獅子は、合祀されている各社や芝居小屋を祓い、花場や社務所で御神酒をいただきながら存分に舞い、やがて道中に出ていく。
 夜も更けた頃、獅子が道中から戻ってくる。祓い残しを気にし、獅子は境内に入るのを渋るが、警護に引き入れられる。そして再び各所を祓い、いよいよ神殿に納めようとする警護と、それを拒む獅子が格闘する祭りのクライマックスを迎える。

 ところで、三渕の神様は野川を伝って里宮に下りてくるのだが、野川の水が少ないと蛇体である神様の渡御に支障きたすので、五所神社と総宮神社の祭礼の時は必ず雨を降らし、野川の水嵩を増やすのだと言い伝えられている。
 確かに初日は雨が降る。猛暑に見舞われた昨年はさすがに降らなかったが、それでも祭りが終わるとすぐ雨が降り、暑さを鎮めた。水神・三渕の神様の霊験あらたかであった。 五所神社の祭礼の日が近づいてきた。祭りの練習の太鼓の音を聞いただけで心がはやる私たちである。その獅子舞がいつから始まったのかは定かではないが、今なお里人の心を一つに束ねているその力に感動する。