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さわのはな、再び

 久しぶりに「さわのはな」という米を食した。美味である。一箸ごとに、幸福感が口中に広がっていくような旨さである。
 これを持ってきてくれた人が言うには、こだわりを持って米を食べている食通の人の間でも、さわのはなの評価はすこぶる高いのだそうである。

 町のお米屋さんは、さわのはなの真価は夏場以降に発揮されると言う。夏場になると、大概の米は粘気がなくなりパサパサしてくるのだが、さわのはなにはなお強い粘気が残っている。そこでそのお米屋さんでは、夏場からはササニシキに混ぜて販売していたとのことである。
 さわのはなの旨さに舌鼓を打つうちに、一つの大いなる疑問が沸き上ってきた。これほどの食味を持つ米が、何故傍流に追いやられてしまったのだろうかということである。

 さわのはなは昭和35年、県農業試験場尾花沢試験地で、農林8号を母に、a・b・cを父にして育成された。父となったa・b・cは、父方の祖父が、3月19日付けの拙稿「鄙の酒」で紹介した「亀の尾」であり、そうした意味では、山形で生まれた、極めて山形らしい米といえるだろう。

 誕生と同時に県の奨励品種となったさわのはなは、耐冷性にやや強く、耐病性もあり、美味であることから作付面積を拡大し、昭和47年には17500haに達した。この年、自主流通米制度の創設に伴い、食味が買われて県の銘柄米に指定されてもいる。ところが、この年をピークとして、さわのはなの作付面積は年々減少していく。
 さわのはなにも弱点はあった。お百姓さんは一様に、さわのはなは「作りごわい(憎い)」と言うのだが、生育初期に低温にあうと生育の遅れが目立ち、成熟期には倒伏しやすいという傾向がある。この性質は、その頃から本格化してきた農作業の機械化にはそぐわないものであった。
 また、収量が思うように伸びないという悩みもあった。比較的安定はしているのだが、大獲れはしないのである。これでは農家の旨味はない。

 機械化、効率化という時代の流れの中で、作る側とすれば、手間がかからず、収量が上がり、気を遣わずに済む品種を求めたくなるのは道理である。こうして、管理に手数のかかるさわのはなは徐々に敬遠されていった。 機械化、効率化という時代の要請に応えるべく生まれたのがキヨニシキだった。キヨニシキの誕生は昭和46年。倒伏性、耐病性、収量性にすぐれ、銘柄米に指定されたこともあって、キヨニシキは急速に普及し、昭和50年には49600ha、県下の作付けの50%を占めるに至った。これはかつての亀の尾の47000haを凌ぐ大記録で、キヨニシキの作りやすさが、機械化を進める農家にいかにうけたかを物語っている。

 しかし、この過程で取り落としてしまったものがある。消費者という存在と、そのニーズである。キヨニシキを作付けるというのは生産者のニーズであり、消費者のニーズでは決してないのである。

 当時は消費者ニーズなどさほど気にする必要もなかったのかもしれない。しかし、この時 消費者を意識しなかったことが、今日の「はえぬき・どまんなか」に至るまで、山形の米と消費者ニーズが乖離する結果となって表れているように思える。

 今、米の販売を原則的に自由化した「新食糧法」の施行をうけて、米市場の主流であるコシヒカリの作付けを増やそうという動きがあるようだが、「山形のコシヒカリ」を果たして消費者が求めているだろうか。
 私としては、山形らしい米であるさわのはなの方が、現在の消費者のニーズを満たす力があると考えるのだが、「作りごわい」さわのはなを、農家が再び作付けることはありえないことなのだろう。