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鄙 の 酒

 新酒の誕生を告げる杉玉が、各地の酒蔵の軒先に吊される季節となった。昨秋稔った米が冬の間静かに醸され、酒として新しい生命を得たのだ。

 このところ私たち影法師は、長井の酒蔵・東洋酒造さんと懇意にさせていただいている。きっかけは「亀の尾」という米だった。

 3年前、「はえぬき・どまんなか」が山形県期待の新品種として市場に出る時、私たちは一つの歌を作った。『余目の亀治さへ』という。
 タイトルとなった「余目の亀治さ」は、100年ほど前、庄内地方の小出新田(現余目町)で百姓をしていた阿部亀治のこと。本間家の小作人であった阿部亀治は、子供八人を抱える貧乏暮しに耐えながら農業技術の改善に尽くし、優良品種亀の尾を育成した。
 亀の尾はササニシキやコシヒカリなど、日本でうまいといわれている米のルーツとなっており、はえぬき・どまんなかもその血筋を引いている。だから私たちは、阿部亀治と亀の尾を歌った。鳴り物入りで新品種のキャンペーンをするだけでなく、その根っこに、100年前一人の百姓が育てた一つの品種があることを知っておいてほしかった。

 そのことが縁になり、亀治のお孫さんにあたる喜一氏から亀の尾の種籾を頂戴し、翌年から栽培している。

 亀の尾にはもう一つの顔がある。酒米としての顔である。酒米は、米粒が大きい、たん白質の含有量が少ない、心白率が高いなどの諸条件を満たしていなければならない。心白とは米の中心部の白く見える部分で、小粒の食用米にはない。心白が見えるのは、中心部の細胞が壊れて澱粉粒が散乱し、乱反射するからで、その分もろみの中で溶けやすく、糖化しやすい性質を持っている。亀の尾はそうした諸条件を満たし、山田錦などと並んで酒造好適米として珍重されている。そのことは尾瀬あきらの『夏子の酒』でつとに有名になった。
 影法師が亀の尾を作っていることを知り、それで酒を造ってみたいと申し入れてきてくれたのが東洋酒造だった。しかし、遊び半分で作っている米なので何分収量が少ない。やむなく亀の尾は、麹米として使われることになった。

 酒造りは「一麹、二 (もと)、三造り」といわれている。日本酒は米、麹、水を原料とし、麹で米の澱粉を糖化させ、それを酵母の力でアルコール発酵させたものであるが、その工程のなかで最も重視されるのが麹造りである。麹は米を糖化するだけでなく、香気の生成にも関与している。東洋酒造の杜氏の渡辺吉雄さんは、麹造りの大切さについて先輩から「おしゃめ麹造るな、嬶麹造れ」と教えられたという。「おしゃめ(お女郎さんか?)がいいのは見かけだけ、嬶は噛めば噛むほど味が出る」と。

 昨春、影法師の亀の尾を麹にして造った酒が、純米酒「鄙の影法師」として世に出、この冬二度目の仕込みが行なわれた。

 しかし、酒とは不思議なもの。杜氏さんの言を借りれば「酒造りは子作りと一緒で、同じ材料、同じやり方でやっても、決して同じものはできない」のだそうである。一昨年のような不作の年は、米が軟らかくてどんどん糖化していくが、昨年のような日照りの年は米が硬くて糖化のスピードが遅く、糖化する先から酵母が食べていくため、どうしても辛い酒になるのだそうである。酒とは生命が造り出すものだということに、改めて気付かされる話である。

 大手50社で販売量の約半分を占めるといわれる日本酒の世界。「大手と同じような酒を造っていたのでは、我々地方の酒蔵は生き残れない。大切なのは個性的で押しの強い酒を造ることだ」と杜氏さんは言い切る。個性と押しの強さ…鄙の酒が生き残る道は、山形という鄙が生き残る道でもあろう。