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「鄙の影法師」

「鄙の影法師」と名前のついた酒ができて、もう4年たった。
 酒造りの仕事に入った頃「自分の作った米で酒ができたらなぁ」なんて思ってた。
でも、それからは、特別にそんなことも思わずに来た。

 それが、4年ほど前「余目の亀治さへ」と言う歌が出来た。(市場の部屋参照)(亀の尾を作った阿部亀治と言う人は大変りっぱな百姓だった。その彼に農業に対する姿勢と生き方を学ぼうといった内容)
そんな関係で、余目町の亀治さんの家へ行ける機会に恵まれた。そして、子孫にあたる阿部喜一氏宅でお茶などいただきながら話の中で、「亀の尾」の種籾を少し分けていただくことが出来た。

その冬、酒造りが始まるとき会社の専務に
「俺、少しだけど亀の尾の種籾貰えるんだ」と話したら
「じゃその米、作ってくれないか?」となった。

 折しもその頃「夏子の酒」と言うコミックが話題になっていた。「亀の尾」はそのモデルになった米だった。

 はじめて作付けした年が、例の凶作の年、収穫は10俵だけとれた。
 その年は、亀の尾は「こうじ米として酒の元になるところに使われ、ひと冬かかってじっくり仕込まれた。純米酒だ。
 「うちで作った米がはじめて酒になった。」

 そして、専務が
「横澤くん、この酒に影法師の名前つけてもいいか?」
「えっ?そんなこと俺らの方はもちろんかまわないよ。」
「じつは、米を頼んだときから影法師の名前はかんがえていたんだ」ってなことで、影法師の名前が酒につけられる事になった。

 そして、その事をメンバーに話すと、「それならこっちで、レッテルと函のデザインやらしてもらえないかな?」と、青木が担当した・・・。

 ただ、堀内孝雄の「影法師」と言う歌がヒットしていた頃だ。「影法師」の商標が半年前にどっかにとられてしまっていた。
 そのままではせっかくここまで来たのに名前が使えない事になる。「んー」考えて、青木のアイデアで「鄙」の商標とって「鄙の影法師」はどうか?

 「鄙(ひな)ってどういういみや?」聞き慣れない言葉にとまどった。
 「雅に対しての鄙にもまれなとか、ひなびたとか、都に対して田舎とかそんな意味だ」と青木の説明だった。
 「田舎の影法師か。それいいね。どうせそのままだべした」
 そんな事で「鄙の影法師」という名前の酒が生まれたのである。
それ以降、私は毎年「亀の尾」を栽培している。

 影法師の演奏するときはいつも純米酒「鄙の影法師」を携行しコンサートでみなさんの健康とますますの発展を祈念して「乾杯」をすることが恒例になっている。
 「酒造りは、子供作りと一緒で同じ条件で作っても、けっして同じ子供は産まれない」杜氏さんが言うように、酒はその年の米の質や天候等によって毎年条件が違うのである。
 普通の酒は、何本かのタンクをブレンドして味が一定になるよう調整する。
 純米酒や、本醸造、吟醸酒などの特殊な酒はそれぞれ一本づつのタンクである。
「鄙の影法師」は純米酒、今年はどんな酒が生まれるのか楽しみである。
 丸4年なかなか、評判はいいようだ。果たして今年はどんな酒になるのだろうか。
 長井市内の「いい、お酒屋さん」で売っている。