純米酒『鄙の影法師』物語
話は少し前に遡る。1992年7月、高石ともやの夏のコンサートに向かう列車の中で、遠藤(バンジョー)が青木(ベース)にこう言い出した。
「あのよぉ、今度の”はえぬき・どまんなか”だげんども、なんとかしんなねでねえべか」
要するに、その年の秋に市場にでる山形県のコメの新品種、「はえぬき、どまんなか」の応援歌的なものを作り、キャンペーンに一役買いたいということである。
だが、戦略がなく、ただネーミングの奇抜さだけで商品を売ろうという動きを冷ややかに眺めていた青木は、なかなかウンとは言わなかった。
「今は幸いにも影法師の評価が上がっている時だ、おざなりな歌を作って、評価を落とすような事はしたくない。問題は、はえぬき・どまんなかに、それだけの歌を作らせる力があるかどうかだ・・・・」
後日、遠藤が資料を持ってきたのだが、それを見た限りの青木の結論は、「はえぬき・どまんなかでは歌にならない」だった。だだ、双方のコメの系図の大元のところに、『亀の尾』があることを青木は見逃さなかった。
「ようし、はえぬき・どまんなかのキャッチコピー”ユメのコメ”と、100年前の夢の米『亀の尾』を重ね合わせて歌にし、亀の尾と阿部亀治を現代に甦らせてやろう」
亀の尾は100年前、山形県庄内地方の小出新田(現在の余目町)の一百姓、阿部亀治が育て上げた、当時としてはパイオニア的な品種である。
阿部亀治は酒田本間家の小作人で、子供8人を抱える貧乏暮らしの身でありながら「どうしたら良い米が作れるか」を常に考えていた人で、亀の尾の育成のみならず、田んぼの馬耕、稲の杭架け乾燥などの技術革新に先駆的に取り組んだ篤農家だった。
「せめて、この阿部亀治の爪の垢ぐらいは、お上や消費者の顔色を伺いながら、みっともなく右往左往している今の百姓に飲ませねば」と青木は考えた。こうして生まれたのが「余目の亀治さへ」だった。
曲が出来上がるとすぐ、この阿部亀治の孫にあたる阿部喜一氏のもとを訪ね、歌ができたことを報告するとともに、阿部亀治にまつわる話を縷々伺ってきた。
それからしばらくして、阿部喜一氏より亀の尾の種籾5Kgが送り届けられる。この貴重な種籾を無駄にするわけにはいかない。影法師は、毎年行っている体験米作りで、亀の尾を育ててみることにした。
種籾を頂いた翌1993年5月23日田植えし、生育を見守る。しかし、この年は希に見る冷夏で、稲の開花期に低温の日が続いた。いかに、耐冷性の亀の尾といえども、その影響は大きかった。10月3日に刈り取ったが、出来は反作程度か。
亀の尾にはもう一つの顔がある。酒米としての顔である。
酒米は米粒が大きい、蛋白質の含有量が少ない、芯白率が高いなどの諸条件を満たしていなければならない。芯白は米の中心部の白く見える部分で、小粒の食用米にはない。芯白が見えるのは、中心部の細胞が壊れて澱粉粒が散乱し、乱反射するからで、その分、「もろみ」の中で溶けやすく、糖化しやすい性質を持っている。
亀の尾はそうした諸条件を満たし、西の『山田錦』などと並んで酒造好適米として珍重されている。この事は、尾瀬あきらの『夏子の酒』に登場する幻の米「龍錦」のモデルになった米として、つとに有名になった。
実は、ボーカルの横沢は冬季の間造り酒屋、東洋酒造で働いているのだが、この東洋酒造がそれで酒を造ってみたいと申し入れがあり、採れた亀の尾を購入してくれる事になった。
しかし、酒米にするためには絶対量が不足しているため、東洋酒造では亀の尾を麹米として使用、吟醸酵母を使って純米酒とした。
早春、「面白い酒になった。ついては名称を影法師としたいのだが」と、東洋酒造から打診があった。
こうなると、影法師、張り切らざるを得ない。ラベル・箱のデザインの企画に参画、コピーの文案も考えた。しかし、残念なことに「影法師」は既に商標登録が申請されているため使用できず、検討の結果「鄙の影法師(ひなのかげぼうし)」となった。
1994年の春、影法師の亀の尾を麹にして造った酒が、純米酒「鄙の影法師」として世に出、以来毎年の仕込みが行われる。
しかし、酒とは不思議なもの。杜氏さんの言葉を借りれば
「酒造りは子作りと一緒で、同じ材料、同じやり方でやっても、決して同じものはできない」
のだそうだ。
1993年のように不作の年は、米が軟らかくてどんどんと澱粉化していくが、1995年のような日照りの年の米は硬くて糖化のスピードが遅く、糖化する先から酵母が食べていくため、どうしてもアルコール度の高い辛い酒になる。
「鄙の影法師」は純米酒なので、ブレンドして味を調節するようなまねは出来ない。できた原酒のアルコール度を調整するだけ。ましてや、東洋酒造は地元の小さな造り酒屋ですので、「鄙の影法師」は1本分の仕込みタンクでしか、仕込まれません。となると、去年と今年では、味が違うのは当然と言うことになる。酒とは命が造り出すものだということに、改めで気付かされる話である。
今、大手50社で販売量の約半分を占めると言われる日本酒の世界。
「大手と同じような酒を造っていたのでは、我々地方の酒蔵は生き残れない。大切なのは個性で、押しの強い酒を造ることだ」
と、杜氏さんは言い切る。
個性と押しの強さ・・・・鄙の酒が生き残る道は、私たちが、そして山形という鄙が生き残る道でもあると思う。
不思議な人の縁から生まれた「鄙の影法師」、720ml ¥1200円です。どうぞご賞味を。
といっても、影法師には「酒販」の免許がないので、造り酒屋の東洋酒造にとりつぎ、、蔵元より直接発送していただきます。
代金と送料は、お酒と一緒に郵便振替用紙を同封致しますので、お近くの郵便局から振り込みをお願いいたします。
純米酒 『鄙の影法師』 720ml 1200円
(送料別)
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