徒然日記 次へ進む 前に戻る ホームに戻る
筑紫哲也 NEWS23 in 山形 /1999.10.15
その 2 NEWS23 顛末記
《動乱の前に影法師あり!?》
ロケ日の風景”オクラの花に休む雨蛙”  それは、10月1日の朝7時前の遠藤からの電話から始まりました。

 茨城東海村の『臨界事故』の為に今日の放送は延期と・・

 一日のラストニュースの重さから言えば、多くの人命に関わる重要な報道をしながら、その一方でイモ煮食べ和やかな話をするなど、全く思いも寄らぬ事故に遭遇した多くの方たちの今の状況を思えば、中止になった理由が必要なわけもなく「わかりました」・・・・と、返事をしただけでした。

 実は、影法師と言うバンドは、動き出す直前に色々と事が起こるのです。大抵は、その場しのぎ?で乗り切っているので慣れっこ?・・に、なってはいるのですが。そうそう、『白川以北一山百文』を発表したとき、マスコミに一斉に情報を流して集まっていただき、大々的に新曲発表&録音会を催して、さて、翌日の新聞とTVを待っていたら、その夜にあの「湾岸戦争」が勃発しまして、見事に日常的な私たちのソースは吹き飛んだ・・・・と言うことがありました。その時にはその事件が落ち着いた後、アッチで今日、コッチで明日と分散されてニュースソースになったので、結果としては「災い転じて福」となったこともありました。

 さて、それからが大変です。 実はその10月1日の放送のために、「いも煮」の材料を30人分も!?発注していたのです(笑)

 当日、TV関係のスタッフは総勢30人を越えるだろうと予測していたものですから、せめていも煮の一杯も・・と思ったのが完全に裏目?となってしまいました。当日の朝キャンセルのためにどうしようもなかったのであります。
 里芋や、こんにゃくなどメンバーの家々を遠藤さんの奥様が回って配って歩いたのですが、さすがにどこの家も山形の標準的な三世代同居家族とはいえ、30人分の予定量を4家族で分け合ったのです。

 その夜に当然、どこの家も「いも煮」でした。

 翌朝も「いも煮」。
 これは、これで、「煮返し」で味か染み込んで結構旨いのです。

 そして、その夜も「いも煮」。
 さすがに、このあたりになると少々嫌気がさしてきます・・・・

 翌々日の朝も「いも煮」、それでも余った所もあったとか。その後のいも煮がどうなったかは定かでありませんが、きっと責任を持ってその家のメンバーが食べたのだと思います(^^;)

 この夜、私たちの会報、そして、市役所関係は至急回覧まで回っていたものだから、長井からNEWS23の生中継放送が有る・・と思っていた多くの方が、いつ中継があるんだろう?と、夜遅くまで起きていた人が多かったのであります。
 もっとも、そういう方たちの多くが、ニュース冒頭での一部番組変更のお知らせの部分を聞いたいなかったりしたのですが。

遠藤家の田圃のいなご
杭掛けされた稲と中継車